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写真提供:香港パラリンピック委員会および身体障害者スポーツ協会

東京オリンピック・パラリンピックで興奮に沸いたことを覚えている方も多いだろう。 オリンピック村の中はどんな感じだったのだろうと思ったことはないだろうか。 実は、パラリンピックのアーチェリー香港代表選手であったWilson Ngai氏(ウィルソン・ナイ氏)は、Pasona Educationの日本語教師、牛上敦子氏のご主人なのである。そこで、昨年末にお二人を当校にお招きし、それぞれのご経験とオリンピックまでの道のりについて当校の青田会長、亀島校長がお話を伺った。
(インタビュー日:2021年12月9日)

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左から、亀島校長、青田会長、ウィルソン・ナイ氏、牛上敦子氏

Q:お二人の現在のお仕事は?

(牛上) 私はパソナエデュケーションで約11年間日本語を教えています。それ以前は、会社を経営していました。しかし、大学では教育を専攻していたので、ずっと教育に関わる仕事がしたいと思っていました。そのため、転職をしようと決めた時、パソナエデュケーションの日本語教師養成講座に参加することにしたんです。パソナエデュケーションでは、ビジネス日本語コースとプライベートレッスンを担当しています。

(ウィルソン) 私は正社員としてIT企業に勤めています。そして、パートタイムでスポーツ選手をしています。このため、私は仕事とスポーツのキャリアの両方のバランスを取っています。現在、休みは週1日か2日です。残りの日は仕事をしているか、トレーニングをしています。

Q:お二人の出会いのきっかけは?

(牛上) 私は日本で弓道を10年ほどやっていました。そして、香港に来てからアーチェリーを始めました。友人にアーチェリーの初心者コースがあると聞いたので、そのアーチェリークラブに連れて行ってもらったのですが、そこで彼と出会いました。気軽に楽しく話が出来たので、お互いにとても良い印象を持ちました。

Q:弓道とアーチェリーはかなり違うのでしょうか?

(牛上) かなり違います。表面的には弓と矢を使うので似ていると思われがちなのですが、実際は、自転車とオートバイほどの違いがあります。アーチェリーで使われている道具は弓道のものよりずっと近代的です。

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Q:アーチェリーに興味を持ったきっかけは何ですか?

(ウィルソン) このスポーツのことを知ったのは2008年の北京オリンピックの時です。それからアーチェリーをするようになりました。アーチェリーを始める前は車椅子フェンシングをやっていました。フェンシングでは既に自分の限界に到達して、これ以上の上達は望めないと思ったので、アーチェリーに転向することにしました。

(牛上) 実は、香港の車椅子フェンシングチームは世界ランキング第1位のレベルなんです。これ以上の上達は望めないと言いましたが、彼は既に世界ランキング第6位、7位のレベルでした。彼の上には香港のチームメイトがいるだけなんです。車椅子フェンシングのコーチをしていた人はとても有名な人でした。このフェンシングのコーチが、健常者のフェンシングを見るようになると、そのチームの成績も格段に良くなっていきました。東京オリンピックで男子金メダリストを指導したのも、女子ベスト8を指導したのもこのコーチです。

Q:ウィルソンさんと一緒に東京に行きたかったと思いますが、その時はどのようなお気持ちでしたか?

(牛上) 本当に一緒に行きたかったです。7~8年前に、東京が次のオリンピック開催国になると発表された時、彼が必ず私を東京へ連れて行くと約束してくれました。その時の私の反応は「はい、はい。頑張ろうね。」という感じで、彼がこの約束をそんなに真剣に考えているとは思っていませんでした。なので、彼がオリンピックの代表選手に選ばれた時は夢のようでした。

(ウィルソン) もちろんその約束をした時は真剣でした。日本人の妻を日本で開催されるオリンピックに連れて行って、私の競技する姿を見せたかったですから。それが私が努力するための大きなモチベーションであり、ゴールでもありました。

Q:開催が1年遅れてしまいましたが、それについてはどう思われましたか?

(ウィルソン) 動揺はしましたが、こういったことは自分でコントロールできることではありません。自分でコントロールできないことについては、考えないようにしています。なので私はトレーニングに集中し続けました。

(牛上) それはよく彼が私にも言っていることです。私が仕事で悩んでいる時など、現状を変えるために自分ができることに集中するよう言われます。自分でコントロールできることを考えるように、と。既にご存じかと思いますが、ウィルソンは後ろから押されてMTRのホームから転落したことで足の膝から下を失いました。しかし、それでも彼は前に進むことを止めませんでした。何をしても足は戻ってこないので、こだわっていても仕方がないというのが彼の考えでした。

Q:パンデミックで東京オリンピックの様子がよく分からなかったので、体験したことを教えてください。

(ウィルソン) 会場の雰囲気は、他のメジャーな大会と比べとても静かでした。観客がいなかったことが大きな要因です。

Q:無観客だったことで何か影響を受けましたか?

(ウィルソン) 観客はいた方がいいし、応援はあった方がいいです。選手にとって、よりプレッシャーになると感じるかもしれませんが、もっと頑張ろうというモチベーションにもなるんです。

Q:他の国の選手とは交流できましたか?

(ウィルソン) いえ、ほとんど出来ませんでした。パンデミックだったため、交流できたのは競技の最中のみでした。選手が行って良い場所は、オリンピック村と実際に競技が行われる会場だけでした。他の競技を見に行くシャトルバスにすら乗ることが出来ませんでした。

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Q:香港の選手の競技を見に行くこともできなかったのでしょうか?

(ウィルソン) 香港の選手には会うことはできましたが、他の国の選手とは距離を保たなければなりませんでした。日本政府とオリンピック委員会は競技ごとに、選手の日本到着日と出発日を指定していました。私たちは競技開催日の7日前に到着し、競技終了後48時間以内に日本を出なければなりませんでした。 こうした厳しい規制があったため、大会はより静かな雰囲気になっていました。

Q:他の国からの選手とコミュニケーションを取る機会は全くなかったのですか?

(ウィルソン) 過去に比べれば少なかったですが、そういった機会はありました。ただ、コミュニケーションを取る時はマスクをして、ソーシャルディスタンスを保たなければなりませんでした。大会はかなり静かな雰囲気でしたが、日本がオリンピックを主催することの難しさを私たちはよく理解していました。日本が最善の方法で大会を運営しようとしてくれたことに深く感謝しています。

Q:オリンピック選手村のことで何か共有頂けることはありますか?

(ウィルソン) 日本国民の皆さんには大変感謝しています。例え会場に入って競技をする私たちを見ることができなくても、皆さんは競技会場に向かうバスに乗っている私たちに手を振って声援を送ってくれました。皆さんの熱意とご支援を強く感じました。会場内では、私たちが競技を最後まで行えるようボランティアの方々が全力でサポートしてくださいました。彼らは一日中休むことなく働いていました。ボランティアの皆さんのご支援に深く感謝しています。

選手村の中で最も大きな建物は2階建ての食堂で、そこに世界各国の選手が集まり、食事をしていました。そこで提供されていた食事は気遣いに満ちたもので、中華に西洋料理、中東料理、ベジタリアン用の食事、豚肉や牛肉を含まない食事等々、世界各国からの選手の身体的、宗教的ニーズを満たすものでした。

食堂の中で最も特別なエリアは日本エリアでした。このエリアは、各国の選手が日本食を試すことができるよう、特別に作られていました。例えば、和牛、ぶどう、火を通した魚を使った寿司、焼きそば、たこ焼き、餃子等々。どれも非常に美味しかったです。アイスクリームの蓋がゴールドメダルのようにデザインされているものもありました。

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Q:何かお土産は買いましたか?

(ウィルソン) 自分用にシャツを1枚、後は友達用に小物をいくつか買いました。香港チームのメンバーには2、30万円分のお土産を買っている人もいました。人気のお土産は小物や小さいタオルなどでした。

Q:アーチェリーでトップの選手を目指す中で、どのようなチャレンジに直面しましたか?

(ウィルソン) 最大のチャレンジは自分自身です。アーチェリーとは、非常に静止したスポーツです。このスポーツに関わっているのは私と私の的だけです。このため、落ち着いて、集中する必要があります。全ての結果は私の動きと私の感情に左右されます。同様に、自分の課題に集中していれば、それが仕事であれ、勉学であれ、より良い結果を出すことが出来ます。

Q:何か集中力を高めるコツはありますか?

(ウィルソン) 先ず、自分がやっていることを好きにならなければなりません。自分の課題が好きでなければ、集中することはできません。もう一つは、目的を持つこと、そして何を成し遂げたいかという明確なゴールを持つことです。私もオリンピックに向けて練習している時は、常にメダルを取るというゴールのことを考えていました。もちろん、このプロセスは困難な場合もあります。だから周囲の沢山の人からのサポートが必要です。例えば、私のコーチや、運動トレーナー、スポーツ心理学者、栄養士などです。当然、家族のサポートも非常に重要です。妻がいなければ、ここまで到達することは出来ませんでした。

Q:牛上先生は、今もまだ同じアーチェリークラブでアーチェリーを続けているのですか?

(牛上) はい、ウェイトトレーニング以外は、一緒にトレーニングしています。

Q:では、牛上先生の今後の目標はなんですか?

(牛上) アーチェリーのトレーニングも続けたいですし、パソナエデュケーションで教師としてのキャリアも継続して積んでいきたいです。私にとって、生徒が楽しく日本語を学んでいる姿をレッスンの中で見るのは大変重要なことなのです。将来的にはパソナエデュケーションの生徒が夢を叶えて日本で暮らせるようになることを願っています。夢を叶えた話を聞いたり、才能が花開くのを見ると、本当に嬉しく思います。

Q:ウィルソンさんは次のオリンピックも目指しますか?

(ウィルソン) はい、私の次の目標はパリオリンピックに参加することです。コーチがもうすぐ引退するので、その前に、コーチを連れて行きたいと思っています。もちろん妻もです。

Q:最後に、この記事の読者に向けて何かメッセージはありますか?

(ウィルソン) スポーツであれ、勉強であれ、皆ゴールに向かって努力しています。私も皆さんと一緒です。私も自分のゴールに向かってこれからも懸命に努力し続けます。

(牛上) 皆さんが、目の前に立ちはだかるどんな障害にも立ち向かい、夢の実現に向けて努力し続けられるようお祈りしております。

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